張り詰めた空気を、悪魔の口から歌姫の声が揺らがせました。
「ふっ、砦崩しの王子とウィザードが揃い踏みとは、ご大層な罠だな。だが、この声を持つ俺に勝てるはずはない!」
 びし、とデタラメがウタゲたちを指差します。美しいはずの声はどう頑張っても完璧な悪女のものにしか聞こえません。
「ちょっと! あたしの声で悪者みたいなこと言わないでよ!」
 ウタゲが大理石の床で地団駄を踏みます。デタラメはそれを鼻で笑って
「そんなこと言ってる場合か? シュトゥルマ!」
 やっぱりウタゲにはよく分からない呪文を叫んで突風を起こしました。天井の高い広間を竜巻状の風が駆け抜けます。
「貴女は私が守ります。王子は城の者を広間から出してください」
 アベコベさんが冷静に指示を飛ばします。ウタゲは黒い背中に隠れて「はい!」と力強く返事をし、キヌゴシ王子はティーセットを片付けていた女中の元へと駆け出します。女中が見つけられなかったカップは、アベコベさんの手の中にありました。
「朝凪」
 アベコベさんがそう言うと、悪魔の風が止みました。ウタゲを背に庇ったまま、アベコベさんはカップを手前に放り投げ
「木っ端微塵」
 たった一言で職人が手作りした超高級ティーカップを粉砕しました。空中でばらけた欠片を
「旋風」
 小さな竜巻に取り込んでデタラメへ向かわせます。
「アビオン!」
 デタラメの体が宙に浮いて、カップの欠片を避けました。アベコベさんは帽子の下から悪魔を見上げ、にんまりと唇を歪めます。
「氷柱」
 天井から鋭い棘が降り注ぎます。ウタゲは思わず後ずさり、戻ってきた王子がその背中を片手で止めました。
「安心して。彼に任せれば大丈夫さ」
「魔法ってそんなものなの?」
 肩を縮こめて不安がるウタゲの前で、アベコベさんとデタラメの対決は続きます。
「神鳴」
 床に突き刺さった棘が消え、今度は電撃が広間を縦に貫きます。対するデタラメも
「フリュイアッ!」
 後退して雷から逃れ、猛烈な騒音を発しました。アベコベさんは眉を顰めただけでしたが、ウタゲと王子は耳を塞いで苦しみます。
「これも魔法なの? 頭痛い!」
「くっ! 借り物の力とはいえ、弱い訳ではないようだな!」
 アベコベさんがちらりと二人を窺い、右手を悪魔へと突き出します。
「雁字搦め」
 対抗しようとしていたデタラメの動きが止まり、ウタゲたちを苦しめていた謎の騒音も止みました。
「助かったぞ、ウィザード。僕も手伝おう」
「光栄ですが魔法使いです」
 剣を抜いた王子がアベコベさんに並び、ウィザードはどこまで本気か分からない返事をします。
 一人残されたウタゲは、そっと喉に手をやりました。
 自由を取り戻した悪魔に、剣を構えた王子が向かっていきます。
「やあ!」
 細身の剣が風を切り、
「ガッシュ!」
 悪魔が生み出した魔法の白刃と組み合いました。そこにアベコベさんの黒いシルエットが音もなく近寄り
「鬼火焚き」
 白い両手から炎が噴き出してデタラメを襲います。
「うっ! か、カスカータ!」
 魔法の剣を消して悪魔が叫び、溢れ出た水がアベコベさんの火を鎮めました。アベコベさんはほぼ同時に
「神鳴」
 再び雷撃を浴びせます。歌姫の声で悲鳴が上がり、デタラメの体が後ろに倒れました。王子が緊張の面持ちで近づきます。
「倒したか?」
「……」
 デタラメは動きません。王子がさらに一歩踏み出して、
「危ない!」
 ウタゲが少年漫画の主人公のように、裏返りかけた声で叫びます。
 キヌゴシ王子が咄嗟に目を瞑り
「ガッシュ!」「綺羅星」
 デタラメの歌姫声に被せてアベコベさんが目くらましの光を投げつけました。
 デタラメの動きが僅かに鈍り、王子の回避行動がどうにか間に合います。キヌゴシ王子は剣を構え直してアベコベさんに目礼、デタラメの反撃に備えます。
「ウィザード、僕はどう動けばいい? 君が指揮してくれ」
「何を仰います。私の口は呪文で手一杯ですよ。私は魔法に集中しますので、他のことは王子にお任せします」
 おだてているのか説教のつもりなのか分からない台詞を残して、アベコベさんは駆け出します。
「雁字搦め、鬼火焚き」
 相手の自由を奪い、即座に攻撃。その様子をじっと見つめて、王子は歌姫救出に向かった時のことを思い出します。
 王からの命令で始まった長く苦しい危険な旅。たくさん付いて来てくれたお供たちは、禍々しい砦に近づけば近づくほど減っていきました。それにつれて次第に志気を失っていた王子は、砦の門を前にして遂に最後の一人となったお供、ウィザードのアベコベに言いました。
「君が望むなら、もう帰ってしまって構わないよ」
 絶望の色濃い王子の言葉に、ただでさえ細い目をさらに細めて、アベコベさんはこう答えたのです。
「もう少し、王子の前でコーコントウザイ語の呪文を使わせてください」
 そう言ってすたすたと歩き出してしまったマントの背中と、今見つめるアベコベさんの姿が王子の中で被ります。
 キヌゴシ王子は一人、静かに決意を固めました。コーコントウザイ王国を背負うにはあまりに細い剣が、王子の両手の中できらりと光りました。
「はあっ!」
 柱の装飾に隠れたウタゲが見守る中、アベコベさんと魔法を飛ばし合うデタラメにキヌゴシ王子が突進していきます。
 迫る王子に気付いてアベコベさんが
「旋風」
 大きく後方へ跳んで道を空けます。同じく逃げようとする悪魔には
「氷柱、木っ端微塵」
 魔法で現した棘を砕いて進路を妨げます。
「感謝するぞ、魔法使い!」
 駆け抜ける王子の声にアベコベさんが満足げに唇を曲げ、
「声を、返せッ!」
 王子の剣が悪魔の肩から腰にかけて一瞬で走りました。


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