三、出鱈目

 悪魔を呼び寄せると返事をしてから、王子は城の奥へ入っていってしまいました。大広間の隅っこで、出されたお茶菓子の個包装を破りながら、ウタゲは立ったままお茶を飲むアベコベさんを見上げます。
「アベコベさん、すぐに悪魔を呼ぶなんて本当に出来るの?」
 少女の口から飛び出たイケメンヴォイスに傍で控えていた女中の顔が強張ります。だいぶ悪魔の声にも慣れていたウタゲは、そういえば慣れない人にはキツいかもね、と気配を硬くした女中を見遣りました。逆に怯えられました。
 声を奪われてからというもの、ウタゲが接してきた人々は悪魔とウィザードと王家のみです。この声じゃ家にも街にもいられないなと実感し、ウタゲは初めてスウェット魔法使いに感謝しました。
 一番複雑な声問題に加えて、アベコベさんは寝床や食事の世話までしてくれたのです。絵本の舞台かと思うようなお家にタダで泊まらせてくれました。魔法使いの嗜みですなどと言いながら一日三食を手作りしてくれました。大量にある上下の合っていないスウェットを寝巻き代わりに無料レンタルしてくれました。
「王子がやると言ったのです。コーコントウザイを継ぐ者が声に出して誓ったこと。今さら心配要りませんよ」
 ウタゲの人知れぬ感激を他所に、アベコベさんはソファの背に黒マントを敷いてその上に腰掛けました。
「アベコベさんがすごいのは分かるけど、王子にもそんな力があるの?」
「そんなにご心配なら、私が一つ魔法をかけて差し上げましょう」
 首を傾げるウタゲにアベコベさんはカップを一振り、
「お茶の子さいさい」
「……お茶の子って?」
「そろそろ準備が整いますね」
「え、ちょっとさっきの何?」
 聞きながらお茶菓子を噛み砕くウタゲの視線の先で、ごてごてに装飾された広間の扉が開きました。
 砦に乗り込んできた時と同じデザインですが、あれとは別のおニューを着た王子が小さな箱を携えて広間に入ってきます。
「用意は出来たぞ、ウィザード!」
「魔法使いとお呼びください」
 涼しい顔で訂正を入れ、アベコベさんは王子の持つ茶色い箱を見ています。
「それは?」
 キヌゴシ王子は広間の真ん中までたどり着いて、右手でちょいちょいと手招きしました。ウタゲとアベコベは顔を見合わせます。
「行ってみましょう」
 アベコベさんがマントを片手に歩き出します。ウタゲもカップを置いてその背を追いました。アベコベさんはカップを持ったままでした。
 二人が近寄ってきたのを見てキヌゴシ王子は箱を床に置き、その隣にしゃがみ込みました。さすがは王子、しゃがみ方すらお上品です。
「これ何ですか?」
 見下ろすウタゲは膝に手を突いて尋ねました。王子は
「まあ見ていてくれ」
 そう言って箱の一辺に指を掛けます。茶色い箱は何の抵抗もなくぱかりと開きました。
 お茶を啜って高みの見物をしていたアベコベさんがほうと興味を示します。
「これはこれは。ちゃんと取ってあるんですね」
 箱の中から現れたもの、それはいくつかの音声テープでした。
「これをどうするの? それより何を録音してあるの?」
「こうするのさ」
 王子がテープの一つを手に取って、箱から取り出した機械にはめ込みます。機械からはいつの間にかコードが伸びていて、底に車輪の付いた二つのスピーカーに繋がっていました。音響機材が揃う様子にウタゲの表情が曇ります。トラウマというほど素直にショックを受けてはいませんが、気持ちのいい光景ではありません。
 ウタゲが目を逸らしたのに気付き、王子が気を使って説明を早めます。
「このテープには、ウタゲ姫、貴女の声が録音されている」
「それは歌声ですか?」
 アベコベさんが素早く質問します。
「ああ。特殊なテープに録音してあるから悪魔祓いの力はないけれどね。それでも奪ったつもりの歌声がまだこちらに残っているとなれば、悪魔はきっと攻めてくる。王室専属の悪魔研究家によれば、今回の事件は悪魔デタラメが単独で起こしたものだ。あいつが一人でやってくるように、これをこのスピーカーで国中に、流す」
 傷付いた乙女のようだったウタゲの表情が一変して呆れ顔になりました。怪訝そうにドスの聞いた声が問います。
「王子様、そんなことで悪魔が来ますか?」
「来ます」
 言い切ったのはアベコベさんでした。
 ウタゲはきょとんとして、マントなしのダサいスウェット魔法使いを振り返りました。アベコベさんは両手で持ったカップにまだ口をつけていました。
「まあまあ、心配は要らないよ。頼りないかもしれないけれど、君にはこのカナメ=キヌゴシ=コーコントウザイと高級ウィザードのアベコベが付いているんだ。きっと君の声を取り戻してみせるよ」
 ぐっと王子が握り拳を作って励まします。
「魔法使いとお呼びください」
 空になったカップを振りながらアベコベさんがしつこく訂正します。
 ウタゲはにっこり笑って
「ありがとう!」
 道端で女性に囁けば簡単にナンパを成功させそうな声を響かせました。


 雑音の数秒が過ぎて、城の巨大なスピーカーから涼やかな歌声が流れ出しました。
 軽やかに、高らかに、滑らかに、時に明るく時には静かに、国の宝たる歌姫の美しい歌声が、どんな楽器にも負けない音色で溢れ出します。
 コーコントウザイ王国の美しい自然と温かい人々と、平和な歴史が永久に続くようにと祈った歌でした。
 遠い目をしてそれを聞いていたウタゲの唇がゆっくりと開き、音を紡ぐことなく閉じました。
 しばらくして、一際耳に残る高音を引き、歌は終わりました。


「フェアケーア!」
 終わったばかりの歌と同じ声が広間の静寂を打ち破りました。
 歌姫と王子と魔法使いが同時に振り向いた先には、さっきまで何もなかった空間に佇む男の姿がありました。
 紺に近い黒の短髪に怪しい光を湛えた赤い瞳。絵本や伝説でもよく見られる、一般的な悪魔の姿です。アベコベさんよりはマシなジーパンにパーカーという格好からして、歌姫の声に釣られて普段着のまま慌ててやって来たようです。
 歌姫の声を奪った憎き悪魔、デタラメの登場でした。
「お早いお出ましですね」
 いつになくシリアスに目を細めてアベコベさんが呟きます。
「待ち兼ねていたよ」
 王子が左腰に差した剣の柄を握ります。
「ねえ、ふぇあ何とかって何?」
 ウタゲが空気を読まずに尋ねました。アベコベさんがウタゲの前に出てぶわさとマントを羽織ります。腹までしかないギザギザの裾からはスウェット丸見えです。
「『フェアケーア』は移動の公式呪文です。私なら絶対に使いません」
 堂々と法律違反を宣言するアベコベさんに王子が並びます。
「悪魔の国の外でも魔法が使える……これが歌姫の声を奪った目的か!」


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