歌姫と魔法使いが王城へ乗り込んだのは、二人がアベコベ姉を訪ねた翌日になってからでした。アベコベさんは昨日のうちに行動を起こすつもりだったようですが、アベコベ姉の藁葺きドームから帰ってきたのはすでに日没後。ウタゲが「どうしても行くって言うのなら別のウィザードに頼むわ」と発言した途端にあっさりと諦めたのでした。
 さて、台風迫る残暑の空ほど暗い顔で、キヌゴシ王子はアベコベさんからの提案を聞いていました。予想外の行動力を前に少々引き気味のウタゲは、可哀想な顔をして王子の同情を誘う係です。
 緑色の瞳がばら撒く『あたし可哀想なの』オーラに当てられたかは定かではありませんが、ずっと黙り込んでいた王子がとうとう口を開きました。
「つまり君はこの城に悪魔を呼び寄せろと、そう言うんだね?」
「ええ。位置的にも設備的にも、城にならば悪魔が現れても国民に被害は出ませんよね」
 柔らかく中性的な声とは裏腹に、細い目の光る真顔はかなりの威圧感をたたえています。お姉さんならにんまりと笑うところでもアベコベさんは真顔で通します。
「そんな……城に自ら悪魔を呼び寄せるだなんて!」
 眉を下げて挙動不審にうろたえる王子。だんだん可愛い子ぶっているウタゲにもフラストレーションが溜まってきました。
「王子!」
 ウタゲは悲劇のヒロイン面から一転、高らかに格好いい男の声を轟かせます。爪を噛もうとしていた王子が動きを止めます。
「あたしは歌姫です。歌姫はあたししかいない。なのに声を奪われたばっかりに、あたしは歌えなくなってしまった! この国を守れなくなってしまった! 声さえ戻れば、この国は再び悪魔に怯えることなくみんなが暮らしていける、世界第三のコーコントウザイ王国に戻れるんです!」
 さすがは歌姫、声が腹から出ています。劇の主役のように堂々と、ウタゲは悪魔の声で語ります。
「どうせもう悪魔はこの国を狙っているわ。アベコベさんの作戦に乗っても乗らなくても、悪魔はいつかここに攻め込んで来るのよ! その時あたしたちに声を取り戻す準備が出来ていれば、歌姫は復活出来るし悪魔も追い払えるじゃない! それにっ、」
 急に声が弱まって、ウタゲが顔を伏せました。キヌゴシ王子ははっとして、少女のつむじを見つめます。
「あたしっ、元に戻りたいの。あたしの本当の声を取り戻したい。こんな声で生きていくなんて嫌!」
 バッ、と上げた顔は頬と鼻にかすかに朱が差し、目元にはきらきらと涙が浮かんでいました。
「王子様、お願い。助けてよ……っ」
 つ、と頬を涙が伝い落ちます。王子が息を呑みました。
 決まりました。音声付ではいろいろとアレですが、善人王子の胸には熱い演技がしっかりと届いていました。
「し、仕方ないな……」
 ウタゲは心中で力強いガッツポーズを決めていました。
「では王子、早急に、即刻、今すぐ、急いで悪魔を呼び寄せてください」
 唇の端を緩やかに持ち上げて、アベコベさんが要求します。
「ちょっと待ってくれ! 協力はするが、今すぐなんてあまりにも危険すぎる!」
 笑うと糸になる目はキヌゴシ王子の真っ当な意見にも怯みません。一仕事終えて王子の視界から逃げ出しているウタゲも感心してしまうほどの完璧な笑顔で、
「私には分かります。今すぐです。急がなければ間に合いません」
「しかし! 今から準備をしたとして、実際に悪魔と渡り合うだけの用意が整うのは早くても――」
「王子も、分からない人ですね」
「なにをっ」
 反駁しようとする王子に、アベコベさんはたった一言の事実を突きつけます。
「言葉にすれば、現実になるのです」
 それはこの世界に存在する魔法の、基本中の基本でした。
「言葉には力がある。だから呪文は魔法になる。言霊の国の王子ともあろう御仁が、そのような甘い認識では困ります」
 場合によっては不敬罪でとっ捕まえられてもおかしくない台詞を吐いて、アベコベさんは帽子をついと上げます。
「私は魔法使いです。アベコベの魔法使いです。必ずや、私の魔法によって悪魔デタラメを倒し、相応しき歌声を持つコーコントウザイの歌姫を御覧に入れましょう」
 そう宣言して、アベコベさんがウタゲを振り返りました。
「貴女も何か仰ってはいかがですか?」
 突然振られたウタゲは困惑気味に、
「え、えっと、じゃあ、あたしも絶対に声を取り戻すわ!」
 見た目だけは可憐な女の子の、哀れにも野太い宣言に、キヌゴシ王子の良心が疼きます。
「……分かった。今すぐに悪魔を呼び寄せよう。そして、僕も歌姫の声を取り戻すと誓おう」
 アベコベさんがようやく柔和な笑みを浮かべました。毒気の抜けた糸目がウタゲに微笑みかけ、笑い返そうとしたウタゲは慌てて緩みかけた頬を引き締めます。
「アベコベさん、そんなこと言っちゃってどうするの? 準備なしに悪魔と渡り合うなんていくらなんでも無茶苦茶よ」
 本気の心配を知ってか知らずか、アベコベさんは唇の前で人差し指を揺らします。
「居眠りしていなければ御存知のはずです。私はアベコベの魔法使いですよ。今から天地がひっくり返ろうとも、貴女の声を取り返して差し上げます」
 たっぷりどころか過剰な自信に、ウタゲはもはや否定する気も起きませんでした。とりあえず一言だけ
「逆よ。魔法使いのアベコベさん、でしょ」


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