ここに人が住めるなんて嘘だ。
 それがアベコベさんの知り合い宅にウタゲが持った最初の感想でした。
 それもそのはず。アベコベさんと並んで見上げる大きなお家は、どう見てもただ大きいだけの藁の塊だったのです。
 ドアも窓もなければ、家っぽい形すらしていません。冬用に牛のエサを集めてあるみたいにこんもりとドーム型で、骨組みがある気配も土台が埋もれている様子もありません。
「こちらです」
 ひたすら藁を積み重ねただけのような家をぐるりと半周し、アベコベさんが藁玉の一部をバスガイドのような仕草で示しました。
「こちらって、ここから入るの?」
「そうです」
「どうやって入るの?」
「こうやって入ります」
 がさごそがさごそ。草むらをかき分けるようにして藁を押しのけ、アベコベさんが壁らしきものの中へ消えていきます。ウタゲも慌てて黒マントの裾を追いました。
 壁は思っていたより分厚く、ちくちくと頬に藁の先が刺さります。しばらく藁壁と格闘していると
「ご無沙汰しております」
 一足先に通り抜けたアベコベさんの声がして、パッと視界が開けました。
 驚いたことに、全面藁張りの家は隙間風もなく丈夫そうで、人が住めるだけの広さを持っていました。
 そこにあったのは、必要最低限の小さな家具と温かいお茶の匂い、そして背の高い女性の姿でした。どうやら彼女がアベコベさんの知り合いのようです。
 つなぎの上半分を腰に括った男前スタイルの女性が振り向き、アベコベさんに輝く笑顔で挨拶しました。
「よう、よく来たな。我が弟!」
 女性にしては低めの声がはきはきと飛び、ウタゲを圧倒します。ウタゲの口がぽかんと開きました。
「あっ、アベコベさんに、お姉さん!?」
 アベコベ姉はどストレートの黒髪をばさりと背中へ払い、呆けるウタゲと藁を払うのに夢中なアベコベさんの元へ、すたすた大股で駆け寄ってきます。
「どうしたんだい、我が弟。こんな可愛い女の子を連れて」
 両手は腰に当て足は肩幅に開くという逞しさ満点ポースでアベコベ姉が聞きます。
「姉宮は博識ですので、その知恵をお借りしに参りました」
 アベコベさんが丁寧に答えると、名前不明の女性は呆けっぱなしのウタゲに満面の笑みを向けました。
「という訳で、意外な家族の登場だ。嬢ちゃん、困ったことは何でもこのお姉さんに質問したまえ!」
「は、はあ」
 無意識に相槌を打ってウタゲは口を塞ぎました。ほほう、とすでにお見通しという顔でアベコベ姉が指先に顎を乗せます。
「まさか嬢ちゃん本来の声が男物だとは言わないだろうね。素敵なトラブルをゲッツしてきたなあ、我が弟」
「『問題に巻き込まれた』んですよ、姉宮。まずは私の説明から聞いてください」
 そして、ウタゲとアベコベさんはスキューバ事件に始まる一連の騒動について説明しました。聞き終えたアベコベ姉は、にい、と唇の端を吊り上げて手を叩きます。
「ははあん。そりゃあ悪魔デタラメの仕業だな。最初に嬢ちゃんを狙った奴だよ」
「アイツのせいだったのね……!」
 憎々しげに低く呟くウタゲに、姉が
「ストップ」
 と手のひらを突きつけました。
「姉宮、そこは『止めろ』と仰ってください」
「黙らないか我が弟。おれは男の声で女みたいにしゃべられるとどうも昔のことを思い出して頭に血が上る。この家をセルフで建てたおれとガチバトルになりたくなきゃ、ちっとばかし遠慮してくれないか?」
「だから『自分で』と『本気の喧嘩』だと申し上げているのに……」
 アベコベさんは愚痴っぽく訂正を入れて茶を啜りますが、慣れないウタゲには迫力の効きすぎた説教でした。引き攣った表情ですいませんでした、とかすかな声を漏らします。
「分かってくれればオッケー」
 アベコベ姉はにんまり笑顔に舞い戻って顎を引きます。親指と人差し指で作った丸を、アベコベさんの文句言いたげな眼光が貫きました。
「で、デタラメの詳しい話を聞きたくはないかい?」
 機嫌はすっかり直ったようで、ウタゲが頷くとアベコベ姉は話し始めました。
「悪魔の国の外では、悪魔は力を使えない。だからデタラメは悪魔の国の海域に嬢ちゃんを誘い込み、魔法を使った。悪魔は使える魔法が限られているんだが……デタラメの奴、嬢ちゃんと自分の声を入れ換えたみたいだな」
 ほう、とアベコベさんが納得の声を上げます。ウタゲは無意識に自分の喉へ手をやりました。
「嘘……」
 呆然と呟く声は、憎き悪魔デタラメの声だというのです。
「アベコベさん、どうすればいいの、じゃなくていいんだ?」
 聞かれたアベコベさんはカップを置き、
「それなら話は簡単ですよ。声は奪われたのではなく、入れ換えられた。悪魔をおびき出してもう一度入れ換えてしまえばお仕舞いです」
 さらりと言ってのけました。お姉さんも肩を持つように聞き入っています。ウタゲは戸惑いながら重大な懸念を口にします。
「でも、相手も歌姫の声で何をしてくるか分からないよ」
「そこは私の腕の見せ所です」
 一蹴でした。いくら王室御用達の高級ウィザードといえども、あんまりな自信です。
 唖然として言葉を失ったウタゲを見下ろし、アベコベさんが応接セットの椅子から立ち上がります。
「そうと決まれば善は急げです。いい加減鬱陶しがられるかもしれませんが、出来るだけ早く城へ行きましょう」
「あなた、そういうキャラだったのね……」
 飲みかけのお茶を持ったまま発した声は、アベコベ姉の鋭い舌打ちを誘いました。


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