二階の廊下で、アレコレはカナタとコナタを見つけました。向こうからやってくる二人は何かを探している様子です。
 そして
「あっ! いた!」
「そこにいたのか!」
 二人はアレコレを見つけるなり声を上げました。アレコレは廊下の真ん中に立ち塞がり、本を広げてカナタとコナタを迎えうちます。
「どこにいたのよ」
「何してたんだよ」
「うるさいっ、フラッシュ!」
 ぴかっ、と。光は起こりませんでした。
 アレコレは眉をしかめ、もう一度
「フラッシュ!」
 大きな声で呪文を唱えます。何も起こらず、カナタとコナタは顔を見合わせました。アレコレの表情には雲がかかり始めます。
「なんで、なんで……ふ、フラッシュ!」
 呪文は依然、何の効果も現しませんでした。
「なんでよっ!」
 アレコレは涙目で叫ぶとその場を逃げ出しました。残されたカナタとコナタは、
「とにかく、先生よね」
「あの人アテになるのか?」
 そう言い合って走り出しました。

「コナタ! オト先生見つかった?」
「いない……。カナタはどうだ?」
「全然。なんであの人肝心な時にいないのよ!」
「オト先生がいそうなところって他にあったか?」
「ありすぎて分からないわよ。給食室とか教卓とかダンボールとか、変なところばっかりにいるんだもの」
「だよなー。――あっ! あれってオト先生じゃないか?」
「中庭? 何度も探した場所なのに!」
「しかもなんか食べてるし」
「……お腹減ったわね」
「昼休み返上だからなあ」
「とにかく、今度こそ見失わないわよ!」

 扉とガラスと帽子の前で、アレコレは本を開きました。呪文を唱えると、ちゃんと文字が現れました。
 ページを捲って目に飛び込んできたのは、アベコベという偉大なウィザードが使ったあまたの呪文でした。
 そしてそれらは、どれも違法なものばかりでした。
 コーコントウザイ語による呪文は、協会には認められていません。どんなに素晴らしい効力を発揮しても、それは違法なのです。
 本の著者はそんな協会に対する嘆きも綴っていました。それにゆっくりと目を通し、アレコレは深い溜め息をつきました。
 落ちこぼれの自分に、まさか違法呪文が使えたなんて。
 アレコレにとっては人生最大の衝撃でした。入学したての頃に一人だけ魔法が使えなかったことよりも、ずっとショックでした。
 アレコレが憧れ続けていた魔法使いは違法呪文の常習者で、アレコレが初めて使えた呪文も、彼が好んだ違法な言葉だったのです。
 小さなアレコレは何度も深呼吸をし、ガラスケースの帽子を見つめました。

 そうやって、一分ほどが経過しました。やっと落ち着いたアレコレは、埃っぽい床から立ち上がり、辺りを見回します。
 遠くから足音が聞こえていました。アレコレには、それが誰だかすぐに分かりました。分かって、また逃げ出しました。

 アレコレが向かった先は中庭でした。昼休みに上った花壇に腰掛け、息を整えながら本を開きます。文字を読み上げても魔法は起こりません。
「だから、なんでなのよ……」
「アレコレちゃん!」
 オトの声に、アレコレは肩を強張らせます。そして、また逃げ出してしまいたい衝動に駆られました。立ち上がるアレコレを
「待って、アレコレちゃん」
 オトが後ろから抱きすくめました。
「放してよ!」
「嫌よ。ねえ、ちゃんと話を聞いて」
「なによ、もうそんな子供だまし信じられないわ!」
「違うの。アレコレちゃんは――」
 アレコレは乱暴な手つきで本を開き
「神鳴、夕立、雁字搦め、鬼火焚き、木っ端微塵、木霊、旋風、氷柱、鎌鼬、綺羅星!」
 目に付いた呪文を片っ端から口にします。それでもやはり、魔法は起こりませんでした。アレコレの目に涙が広がります。
「なんで、なんでよ! アタシはアベコベの一番弟子よ! アタシが魔法をっ――」
 地団駄を踏んでいたアレコレは、視界が真っ暗になって動きを止めました。オトの腕も離れて、思わずよろめきます。
 顔の前で動かした手が、何か布にぶつかりました。持ち上げてみると
「これ、って」
 それは黒い帽子でした。大きくて黒い、飾り気のない古びたトンガリ帽子です。
 魔法使いアベコベが愛用し、コーコントウザイに残した帽子でした。
「なんて大きいのかしら。それに地味よね」
「でも、お前のダサいマントにはお似合いだな」
 それを持ってきたカナタとコナタは、呆れたように口を揃えます。
「カナタ、コナタ。これどうしたの?」
「どうしたもこうしたも、オト先生の頼みとあれば仕方ないじゃない。鍵を開けて持ってきたのよ」
「おれたちをただのいじめっ子だと思うなよ。お前のこと無視してるクラスメイトの方が、よっぽどいじめっ子だろ」
「え、えっと……、あり、がとう」
 戸惑いながら、アレコレは何とかそれだけ言いました。それから視線を落として
「でも、アタシ魔法使えないの。アベコベの魔法も、使えなかったの。これじゃウィザードにも、魔法使いにもなれないわ」
 カナタとコナタは口を噤み、子供たちを黙ってみていたオトがアレコレの前でしゃがみます。そうしてアレコレの頭を撫でました。
「大丈夫よ、あなたはちゃんと魔法を使ったじゃない」
「でもさっきは無理だったわ! それに違法じゃ意味がないわよ!」
 勢いよく立ち上がり、アレコレは涙を散らします。オトはくすりと笑って
「あなたはアベコベさんの一番弟子なんでしょう? 彼は協会とか法律とか、そんなものを気にして魔法を使ったと思う?」
「えっ……」
「そんな訳ないわ。アベコベはコーコントウザイ語の呪文しか使わなかったんだから」
「そうそう。王子と一緒に手柄を立てたからって、協会に呪文の認可を広げろって直談判までしたんだろ?」
 戸惑うアレコレの代わりにカナタとコナタが胸を張ります。
「でも、アタシもう魔法使えない……」
「大丈夫よ。これがあるじゃない」
 オトはアレコレの抱き締める帽子を示しました。それでもアレコレの不安は消えません。オトが、そうねえ、と呟きました。
「そんなに心配なら、私が魔法をかけてあげる」
 オトはそう言って目を閉じます。アレコレの手を握って、囁くような声で呪文を口にしました。
「お茶の子さいさい」
 アレコレはきょとんとしてオトを見つめていました。
「オト……、それ何?」
「なんでもできる魔法の呪文よ」
「アタシそんなの知らないわ。どの本にも載ってなかったわ」
 首を左右に振るアレコレに、オトは床に落ちた本を開いて見せました。
「ほら」
 そこには、アベコベが好んで使っていた呪文が並べられていました。先ほどの魔法も、そこにあります。
「あなたの師匠からの魔法よ。きっと届いたはずだわ」
 顔を上げると、カナタとコナタも励ますように力強く頷きました。
 アレコレは帽子をコナタに渡し、本を開きました。
 最後のページはいまだ開きません。魔法で封じられているのです。アレコレに開けられるかは、やってみなければ分かりません。
 アレコレは大きく息を吸い込みました。
「蝶結び!」
 音も煙も光も、魔法らしい演出は一切なく――ぱらりとページは開きました。
 アレコレの顔がぱっと輝きます。カナタがアレコレの本を取り上げ、カナタは帽子を持たせました。オトが
「さあ」
 と促します。
 アレコレは帽子を持ち上げ、ゆっくりと、茶髪のおかっぱ頭に被せました。
 帽子はかなり大きくて、小さなアレコレではどうしても片目が隠れてしまいます。アレコレは帽子を被りなおそうとして、やっぱりやめました。
 オトが笑って
「素敵ね。今度はとっておきの、あなたが好きな魔法を使ってみたら?」
 そんなことを言いました。アレコレもにっこり笑って、口を開きます。
 そして、隠されたページの呪文を唱えました。
「あべこべ!」


 昔々コーコントウザイという国に、一つの物語がありました。
 そしてこれは、それよりもちょっと小さなお話。
 ――めでたしめでたし?
2010/夏

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