昔々コーコントウザイという国に、一つの物語がありました。
 そしてこれは、それよりもちょっと新しいお話。


 その町には小さな学校がありました。二階建ての校舎が二本と、それらに挟まれた中庭みたいな芝生の校庭しかない、小さな学校でした。
 ある昼休みのことです。中庭で、三人の子供が揉めていました。
「だから、退けって言ってるじゃない! アタシを誰だと思ってるの!」
 一人は、十歳くらいの少女でした。茶色い髪は肩までのおかっぱで、瞳は赤茶。声を上げながら腕を振り回して、背中の黒いマントは長すぎる裾を土で汚しています。
「そんなでかすぎる服で言われてもねえ」
「全部ダサいって言うか、マントの裾ギザギザだし」
 彼女が着込んでいるだぼだぼの黒いスウェットを指差しながら、残る二人が同じような顔で笑いました。
 おかっぱ少女より少し年上らしき二人は、ほとんど一緒の顔をした男女の双子でした。金髪の短い方が男の子で、長い方が女の子です。青い目は大きく、幼いながらも整った顔つきでした。
 二人はお揃いのピンクと緑のオーバーオールに身を包んで、ちょっと大人ぶった表情で顔を見合わせます。
「誰って、うちの学校の一等落ちこぼれでしょ?」
「あ、それとも先生の一番の引っ付き虫?」
 二人のにやにや笑いに、おかっぱ少女はふんと鼻を鳴らして野菜の花壇に飛び乗ります。マントを大きく翻し、小さな体を反らせて堂々と
「聞いて驚きなさい! アタシは、王家専属魔法使いアベコベの一番弟子にして、未来の最強美人魔法使いアレコレよ!」
 ギザギザに切ったマントの裾を踏んだまま、そう言い放ちました。
 それを聞いた双子は、少女アレコレを横目で見て
「今どき魔法使いなんて誰も言わないわよ。『ウィザード』でしょ。コナタ、教室戻ろう」
「ま、『ハグニス』も使えないウィザードなんてウィザードとは言えないよな。――じゃあ行くか、カナタ」
 連れだって北校舎へと引き上げていきました。
「むう」
 遠ざかってゆくカナタとコナタを見つめながら、アレコレはちょっと鼻を啜りました。

 しばらくして、今度はマントの裾を両手で持ち上げ、アレコレも歩き出します。花壇から降りて南校舎へと校庭を横切り、芝生に広げられたティーセットの前で
「……やっぱり助けてくれないのね」
 一部始終を見ていた女性にそう言いました。
「あれ? もうおしまい?」
 ティーカップを手に、妙齢の女性が首を傾げました。
 背中まで伸ばした真っ黒い髪に同じく黒の瞳。それらはいちいち日の光にきらめき、白いワンピースによく映えていました。膝の上には布を被せたバスケット。
 悪びれずに微笑む女性に、アレコレは唇を突き出して抗議します。
「もう、オトはどうしていつも見てるだけなのよ。それも面白そうに!」
「だって面白いんだもの。それにカナタちゃんもコナタくんも、叩いたり蹴ったりはしてこないでしょう?」
「でも悪口言うわよ。心が叩いたり蹴ったりされてるの!」
「あら、さすがアレコレちゃんね。その言い回し好きよ」
「だから話を逸らさないで頂戴!」
 アレコレが大声を出しても、オトと呼ばれた女性は柔らかい笑みを崩しません。その上バスケットから布を取って、サンドイッチを差し出してきます。
「お一ついかが? 怒ったらお腹空くわよ」
 アレコレはふう、とわざとらしく溜め息をついて、こめかみに指を当てました。――当てながらもサンドイッチは受け取りました。食べる前に言います。
「カナタとコナタはいいから。早く魔法教えてよ」
「教えるのはいいけど、あなた『フラッシュ』は使えるようになったの?」
 オトの言葉に、アレコレは渋い顔になりました。
「……だって『ハグニス』の練習しかしてないもん」
 ぼそぼそと言い訳して、逃げるようにサンドイッチに噛み付きます。
 アレコレは魔法を教えるこの学校で、一番の落ちこぼれでした。誰でも使える練習用の呪文も、伝説のウィザードしか使えない特別な魔法も、アレコレには使えた試しがありません。
 オトは学校側が選んだ、アレコレのためだけの魔法指導員でした。
「どうして『ハグニス』なの? 私、『フラッシュ』から順番にやっていきましょうねって言ったでしょう?」
 うつむくアレコレに、オトは諭すように問いかけます。アレコレはもぐもぐと口を動かしながら、
「だって……、カナタとコナタにばかにされるから、どうしても『ハグニス』使いたかったの」
「でも今のうちに課題をちゃんとクリアしていかないと、きちんとした実力にはならないのよ」
「…………」
「黙ってちゃ分からないわ。ねえ、ちゃんと『フラッシュ』の練習してくれる?」
「っ……、食べてる途中よ。返事できないわ」
「ちょっと。そうやって言い訳しないの」
「うるさいっ!」
 ばっと顔を上げて、アレコレはマントを腕で払い
「アタシはアベコベの一番弟子なの! このマントと服が証拠なの! だから、魔法が使えないからってばかにすんなあっ!」
 そう叫ぶと、食べかけのサンドイッチを放り出して南校舎へ走っていきました。
 一人残されたオトは、パンくずを拾いながら小さな後姿が玄関に消えるのを見つめて
「アベコベさんを継ぎたいなら、帽子もないといけないんだけど……」

 オトの小さな呟きは、玄関ですぐに立ち止まったアレコレの耳に届いていました。
「帽子……、ね」
 アレコレはにんまりと唇を曲げて、校長室へと足を向けました。

「ねえコナタ、あれ見てよ」
「どうしたカナタ。――アレコレじゃん。何やってんだ?」
 北校舎の窓から、二人は並んで南校舎を覗きます。
 ちょっと薄暗く見える廊下を、アレコレが気合たっぷりに闊歩していました。
「行ってみる?」
「何でだよ」
「面白そうじゃない。それに――」
「それに?」
「それにわたしたち、オト先生に頼まれてるんだし」

 校長室は廊下の突き当たりにありました。両開きの扉には外出中の札がかかり、教頭先生を呼べるベルが付いています。ここに用事のある生徒はほとんどいませんが、近くには学校がもらった賞状やトロフィーの棚がありました。
 ガラス棚の前でアレコレは立ち止まり、目的のものを見上げました。
 それは黒い帽子でした。大きくて黒い、飾り気のない古びたトンガリ帽子です。
 アレコレはそれを横目に、マントから本を取り出して開きました。きちんと装丁されたものではなく、誰かの手で作った紐綴じの分厚い本。最後のページには魔法で封がなされ、それ以外のページは真っ白です。最初のページにだけ、たった一言『姿見』と書かれていました。
 アレコレが心の拠り所としている、アベコベ時代のコーコントウザイ王子が書いたという本は、魔法によって文字を封じられた読めない本だったのです。
「お前もアタシをばかにするのね」
 ガラス棚にもたれたアレコレは、その本をぱらぱらと捲りました。拗ねた口調で
「姿見」
 と小さく呟きます。
 その時でした。本に文字が浮かび上がりました。
 アレコレは小さく息を呑み、そこにあった見慣れない言葉を読み上げます。
「蝶結び」
 かちゃん、とどこかで音がしました。顔を上げると、ガラスケースの鍵が外れていました。アレコレはしばらく鍵を弄って元通りに閉め、
「蝶結び」
 今度も鍵は開きました。アレコレは満面の笑みで、続く呪文を読み上げます。
「堅結び」
 鍵はひとりでに閉まりました。
 念願の魔法が、ようやく使えたのです。
 アレコレは大きく目を見開いて、次の瞬間には駆け出していました。

 カナタとコナタは、渡り廊下からアレコレの様子を窺っていました。
「カナタ、あれ見たか?」
「うん。本を見てたわね」
「それと魔法使ったな」
「どういうことかしら」
 頷き合って、二人は空き教室へと引っ込みます。
 渡り廊下をアレコレが走り抜けていきました。


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