四、宴

 ぱぽんぱぽん、と晴れ渡った空に空砲のかすかな煙が消えていきます。よく晴れた風の強い日でした。その日、遂にウタゲは正式な歌姫となり、城で行われる就任式典に主役として出席していました。
 まるで本当のお姫様のように、歌姫ウタゲが座る椅子は下品ではない程度の豪華な装飾を施されています。職人が手縫いした特注のドレスに身を包んだウタゲ姫が見つめる先には、彼女を助けてくれた王子の姿がありました。
 マイクを握って歌声盗難事件を語るキヌゴシ王子は、いつもどおりにぴかぴかの滅茶苦茶高そうな衣装を着ています。
 事件解決後、同じ失敗を繰り返さないためとして歌姫の行動は大部分が制限され、ウタゲは就任式典まで城で過ごすことを命じられました。
 真の功労者であるアベコベさんはというと、デタラメが捕まる場面すら確かめずに一人館へと帰ってしまったのでした。
 ウタゲにとっては王子以上の恩人なので是非ともお礼を言いたかったのですが、出掛けられては堪らないと思ったのか、誰もアベコベさんの連絡先は教えてくれず、結局会うことはもちろん話すことも叶わないまま今日の日を迎えたのでした。
 いつの間にか敬語なしで話せる間柄となったキヌゴシ王子に聞いたところでは、ウタゲ同様にお礼をしようと思っていた彼もなぜか連絡が取れなかったらしく、式典の用意で城中が慌しく動き始めてからは王子とも話す機会はありませんでした。
 その王子がふと、口を噤んでウタゲを振り返ります。
 半分以上話を聞いていなかったウタゲは仕事用に引き締めたられた王子の表情に一瞬固まります。上の空だったことを怒られるのかと覚悟を決めたウタゲに、王子はふっと笑いかけました。
「ウタゲ姫、そろそろ式典に集中したらどうかな。君の見たかったものを見逃してしまうよ」
「王子様、どういう意味?」
「ここで、この事件を解決した素晴らしいゲストを紹介します!」
 再び聴衆に向き直った王子は、爽やかな声を嬉しげに弾ませました。
 と、展開が読めずに疑問符を撒き散らすウタゲの目に、真っ黒い人影が映り込みました。
「あなた、え?」
 ウタゲは驚きのあまり椅子から立ち上がります。
「コーコントウザイの王子がゲストとは何ですか。『客』と仰ってください」
 黒いスウェットの上下に、裾がギザギザの腹までしかない黒マント。毛先の揃った黒髪には大きな黒いトンガリ帽子。
 集まった国民のざわめきを背に、黒い瞳の覗く細い目をさらに細めて、アベコベさんは王子とウタゲにぺこりと頭を下げました。
「お招き頂き真に光栄です。アベコベの魔法使い、ただ今参上致しました」
 顔を上げてにっこり、アベコベさんがウタゲに笑いかけます。ウタゲは薄く口紅を引いた唇をぱかりと開けて、しばらく呆然と魔法使いを眺めていました。
 時間が止まったように思えたウタゲの世界で、キヌゴシ王子がウタゲにマイクを握らせました。
「歌姫から、何かお言葉をどうぞ」
 そう言って王子は椅子の脇まで下がり、ウタゲは露骨に困惑します。アベコベさんに歌姫としての言葉なんてありません。あるとすれば、非常に個人的な疑問が一つだけ。
 ウタゲはまず、マイクのスイッチを切りました。
「あの……アベコベさん、どっか行ってたの? 王子様でも連絡付かなかったらしいわよ?」
 ウタゲが尋ねると、アベコベさんの表情がいきなり明るくなりました。悪魔を追い詰めた時のような不敵な笑みで、マントの内側を数秒まさぐります。
 きょとんとして見つめるウタゲとキヌゴシ王子の前で、アベコベさんは書類の束を取り出しました。一度捲って中身を確かめ、王子に歩み寄って手渡します。
「読んでください。最初の一枚で概要は伝わるはずです」
「何々? コーコントウザイ語による呪文の正式な認可を要求……って、何だこれ!」
 王子がバッと腕を伸ばして書類から体を遠ざけました。ウタゲも横から首を突き出して手書きの文面に目を通します。王子がぶつぶつ読み上げていたことがそのまま書いてありました。
「王子の素晴らしい演説、一言一句逃さず拝聴しておりました。その中で王子は、私のことを今回の件で最も賞賛に値する『魔法使い』と紹介してくださいましたね。ウィザードではなく、『アベコベの魔法使い』である、と。そして王子は、私に何でも好きな褒美をやるつもりだと仰り、国民の皆様にも異存はないかとご確認なさいました。皆様からも同意を得られたようですね。喜ばしいことです」
 笑顔でつらつらと語るアベコベさんに、王子の顔は見る間に色を失っていきます。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! だからってこんな、協会の正式決定を覆す法を制定しろだなんて!」
 弱りきった王子が本気でうろたえる様に、アベコベさんは小さく嘆息しました。
「そうですか……そこまで否定されては仕方ないですね。キヌゴシ王子が約束を破るとは思っていませんでしたが、残念です」
「そんな! 僕はコーコントウザイの王子だ! この国を継ぐ者として約束を破るなんてことはしないぞ!」
「それではコーコントウザイ語による呪文の認可を」
「いやしかし、僕は君と約束した訳では!」
 突然の窮地にキヌゴシ王子は底なし沼にはまったように混乱の境地へと連れ去られていきます。
「アベコベさん、このための資料集めでいなくなってたのね」
 豪華な椅子に腰を下ろして、ウタゲは楽しく溜め息をつきます。
「ではウィザード、君をもう一度王家で雇おう! この案はじっくり議会で協議にかけてからだ」
「ウィザードではありません、『魔法使い』です」
 王子と魔法使いの口論がしばらく長引きそうです。あきれ顔の歌姫はおもむろに立ち上がり、二人の間に割って入ります。
「ちょっと、二人とも」
「失礼しました。ウタゲ姫」
「姫、どうかしたのかい?」
 アベコベさんはマントの裾を払い、キヌゴシ王子が我に返ってそう問います。
 ウタゲはマイクの電源を入れ直して、
「今日はあたしの就任式典よ。二人が目立ってちゃあべこべじゃない。そういう話は後回しにして、あたしの歌、聴いてくれない?」
 魔法使いと王子は、顔を見合わせて頷きます。
 歌姫の歌が、空高く風に乗りました。


 昔々コーコントウザイという王国で、ウタゲという名の歌姫は、アベコベの魔法使いとキヌゴシ王子に助け出され、奪われた声を取り返し、その美しい歌声を国中に響かせたのでした。
 めでたしめでたし。
2010/春

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